【封建制】と言えば聞こえは悪いですが、かつて封建制を主に採用していた西ヨーロッパと日本は、さほど例外なく近代以降に産業革命を成し遂げ、資本主義の列強として台頭します。そんな封建制の特徴と資本主義との結びつきについて解説していきます。
なお本記事は以下の書籍を参考にしています。一見とっつきずらいですが、各国独自の歴史の歩みを地政学の切り口から見事に普遍化・一般化させた歴史的名著であり、とても面白い本です。
封建制の本質とは何か?
これは意外にも【権力の分散】にあります。
封建制下では、君主が全国の諸侯に対して土地の支配や徴税権を認め、間接的に国を支配する形をとります。実は国家を安定させ、国力を増大させる仕組みがここに隠されています。
封建制下の君主は権限をある程度は諸侯に移譲している為に、これらを独り占めできません(諸侯ー人民の関係もこれと同じ)。これでは君主側のメリットが少なくなりますが、その分だけ君主の座を狙ったクーデターの発生も少なくなり却って政権が安定、国力も豊かになり易いのです。
一方の強権的な独裁国家では王侯貴族が国の利権や富を独占するため、人民の中から政権打倒を企てる者が多くなり、政権が安定しずらく発展性に欠けてしまいます。
もっと言えば、封建制下にあって君主に対しクーデターを起こせば、君主のお陰で生計が成り立っている全国の諸侯・人民の全員を敵に回すことになる訳で、強烈な抑止力になります。結果、政権はますます安定します。
例を挙げると江戸幕府は常に財政赤字の政権で、諸侯には加賀藩など強大な勢力も多々ありましたが、そんな江戸幕府が300年近くも安定して存続できたのは、上記のメカニズムが働いたためです。
なぜ西ヨーロッパと日本で封建制が発達したのか?
西ヨーロッパと日本で封建制が成立した一方、他国では概ね中央集権的な独裁国家が多かったのですが何故でしょう?これには遊牧民が大いに関係しています。
ユーラシア大陸には東ヨーロッパから満州に至るまで、ユーラシアステップと呼称される大草原地帯が広がっています。
遊牧民はここを拠点として活動します(馬が大量の牧草を消費する為)。歴史上、遊牧民は他国への侵攻を繰り返していました。ユーラシアステップに近い国々は、いざという時に兵力の即時展開が求められるため独裁的な強権政治を必要とします。
一方で、西ヨーロッパ・日本はユーラシアステップから離れた位置にあり、遊牧民の侵略にさほど遭遇しなかった為、必ずしも独裁的な政権が必要でなく、前述のような安定性に優れた封建制が発展し易かったのです。
封建制が生んだ、資本主義の列強たち
後の近代に入り資本主義国家として台頭するには、産業革命を成し遂げる必要があります。これには工場経営ができる才覚、そして工場を建設できるだけの資本力を持ち合わせた人民の層がどれだけ分厚いか?が重要な鍵になります。
中世で封建制を採用していた国々では上記の層が明らかに分厚かったのです。何故か?
封建制下では各地方における諸侯の自治次第で、人民でも自由な経済活動がし易かった経緯がありました。その為に【地元の才覚ある庶民たち】が台頭し、人民にもそれなりの資本家が多かったのです。例えば、日本の財閥にはそんな彼らが創業した会社も多いです。
彼ら資本家達は次第に力をつけ始め、西ヨーロッパではフランス革命に代表される市民革命を起こして、自分たちの生みの親であった封建制そのものを崩壊させるまで成長しました。こうして更に自由な経済活動を実現させ、やがて資本主義国家となっていきます。
なお日本の資本家たちは自ら革命は起こしませんでしたが、明治維新により革命無しで封建制を抜け出せました。
こうして中世において封建制だった国々の多くが、近代に入り資本主義の列強として台頭していきます。第二次世界大戦前の頃には、これら列強たちが世界の大半を植民地支配下に置くほどの圧倒的な国力差がついていました。
それでもかつては後進国だった西ヨーロッパと日本
これらの国々はユーラシア大陸の端に位置し外部から情報が伝わりずらいこともあり、当初は文字すら持たない未開国家でした。
ある程度の時期が経過した段階で西ヨーロッパには中東からアルファベットが、日本は中国から漢字(更にこれを変形して、ひらがな・カタカナを発明)がようやく伝来します。
文明を一旦輸入してしまえば、今度は西ヨーロッパ・日本が有利になります。遊牧民の侵略を受けずらい双方の国は、封建制の導入により国が安定し、次第に国力を増強させていきました。このようにして列強国家となる素地を整えていったのです。
封建制にも弱点が。。。
そんな封建制ですが弱点もありました。
行き過ぎた損得勘定
封建制度は【ギブ&テイク】で成り立つシムテムです。諸侯は君主の恩恵に預かれるからこそ忠実に従う一方、恩恵が貰えなければ従いません。
例えば日本に元寇(遊牧民)が襲来した際、鎌倉幕府は功労者に見合った恩賞を与えられず、鎌倉幕府は反感を買いました。防衛戦でしたから新たな土地などの恩賞を与えられないのは当然でしたが、そうした事情は考慮されませんでした。
江戸幕府が滅んだ理由もこれでした。イギリスの威光を手に入れた薩摩藩は江戸幕府に反旗を翻しますが、他の諸藩の多くは「ここは薩摩藩(つまりイギリス側)についた方が得!」と判断し、次々に江戸幕府を裏切ったのです。
一言で言えば、封建制度は外圧に弱いと言えます。
だからこそ、遊牧民の外圧が少なかった西ヨーロッパと日本でしか封建制がまともに発展せず、これらの国だけが近代以降に資本主義の列強として台頭できたのでしょう。
今回はここで終わりにしたいと思います。
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