北海道農家の暮らしぶりはどんなものか?かつて7年間も北海道で農業に従事していた、『鋼の錬金術師』の作者である荒川弘が、そんな知られざる北海道農家の暮らしをマンガ形式で赤裸々に紹介する。そんな人気コミックス『百姓貴族』について紹介する↓。
驚くべき著者の経歴
著者の荒川弘さん(女性)は、あの大人気マンガ【鋼の錬金術師】の著者でもある。しかもマンガ家になる以前、北海道の十勝で7年に渡り酪農に従事していた異色の経歴を持つ。
そもそも彼女の先祖は父方・母方ともに明治維新以降に北海道に移り住んだ開拓農民の血筋を引いている為、バリバリの百姓家系の生まれであると言える。
そんな彼女がコミックス形式で自身を牛に擬態化させつつ、北海道の酪農家を取り巻く現状を、面白エピソード満載で解説しているのが本書である。さすが人気マンガ家であって表現,言い回し,描写の仕方等がいちいち面白い。現在7巻まで出版されているが、個人的には1巻後半~5巻が特にお勧めだ。農業,畜産業の教養を学びながら、楽しく読み進めることができる。
『百姓貴族』の意味
北海道は食の宝庫だ。牛・馬・羊・トリ・シカといった動物肉や野菜、穀物、果物。これらを他の農家と譲り合うことで、彼女らは食に困らない。当然食費もかからずに、新鮮な食品(内地とは全然味が違うらしい)を日々当たり前のように食している。そのような意味で彼女らは『百姓貴族』と言える。
なぜ他の農家と収穫物を譲り合う文化があるのか?それは商品として発送できない収穫物が多いからだ。当然であるが自然界から収穫される野菜・穀物は、全てがスーパーマーケットに並ぶような均一なサイズに整っている訳ではない。
発送できない余りものの野菜・穀物・果物が大量に発生する為に、結果として北海道の『百姓貴族』が生まれるワケだ。
北海道の酪農家は、農地・放牧地の広さも相まってなのか話のスケールが大きい印象も受けた。毎年新車に乗り換える農家、セスナを購入して畑を滑走路にする農家、かたや数億の借金を抱える農家。農業も会社経営のようなものだと思い知らされる。
日本農業を支える北海道
北海道単独で見れば、脅威の食糧自給率を誇る。乳製品で300%、小麦180%、野菜650%、魚介類も豊富で416%。北海道がなければ日本の食糧自給率は今より大幅に悪化していただろう。
なお彼女の実家がある十勝であれば、食糧自給率は1000%を誇る。そんな十勝であるが、語源はアイヌ語のトカップから来ており、その意味は『お前達も川の魚が焦げるのように、あぶられて焼け焦げる運命になれ』という呪詛の言葉が込められている。それだけ厳しい土地を明治の開拓団の死に物狂いの努力で今の十勝がある。
北海道の川の魚が減った?
昔は不要になった肥料や牛の糞尿を川に垂れ流していたため、これを餌にする魚が多かったらしい。今では環境保護の為にそういったことも無くなってきており、川の魚も減ってきているようだ。川の魚が減った=川がむしろ綺麗になった証なところが日本の内地とは真逆であり、北海道ならではの話で面白い。
過酷な「生産調整」
少し前に内地の牛乳消費が落ち込んだ際、生産調整としてせっかく搾乳した牛乳をそのままドブに捨てさせられた体験談も紹介されている。その際は乳牛も殺処分せざるを得ないほど追い込まれていたらしい(乳牛の飼育にもお金がかかる為)。しかし、その2年後には日本国中がバター不足にみまわれ、今度は牛乳(バターの原料)を求める消費者の声が殺到した様だ。
これを『牛乳価格を吊り上げるための酪農家の陰謀だ』とする論調も当時はあったと記憶している。つくづく身勝手な内地の消費者像を思い知らされる。
大胆な野菜泥棒たち
農作物泥棒に関する記載も散見される。北海道は農地が広大であるため収穫量も多く、泥棒も多いのだろうか。
泥棒は人間だけではない。ヒグマ、エゾシカ、キタキツネ。様々な野生動物達との闘いもある。農家によっては借金もしながら苦労して育てた収穫物が、片っ端から食い荒らされてはやるせないだろう。
たまにYoutubeなどで、農家の方が害獣をワナにかけ殺処分する動画を見ると残酷にも見える。しかし彼らには自分の生活がかかっている。自分のようなサラリーマンが事の是非を判断できる代物でも無い。
一方で彼ら北海道の農家たちは、『害獣が湧いたら農作物が美味しく熟した証』だと収穫時期の判断材料にするほど、意外と強かに対応している点も面白かった。
想像以上にハイリスクな農作業
作品の随所で、彼女の父に関するエピソードがコミカルに紹介されているが、これが何とも衝撃的なのである。
農耕馬に蹴られて顎骨を粉砕、農作業機から落ちて助骨を骨折、ダンプカーで用水路に転落し内臓破裂、、、等々枚挙に暇がないのだ。農家は重機を取り扱うため、うっかり気を抜けば指の切断などの重大事故も日常茶飯事のようである。
農家さん達は日々そのようなリスクに直面しながら、我々に食品を届けてくれる。彼らへの感謝を思い出させてくれる作品でもあった。
今回は、ここで終わりにします。次回記事も書評になります↓。
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